歴史から紐解く、黒豆と食の関係

黒豆に関するもっとも古い記録は、今から約2000年前の中国最古の薬物書「神農本草経」にあります。
その中の「大豆黄巻(だいずおうけん)」という記述が「黒豆のもやしの乾燥させたもの」を意味し、
その時にはすでに黒豆の効能が認められていました。
ここでは黒豆の歴史についてご紹介いたします。

左:弘化武鑑の表紙 右:神農本草経にある、黒豆(大豆黄巻)の記載/画像元:国立国会図書館

「日本人」と黒豆の歴史

日本の古文書のなかで黒豆に関する最初の記述は、平安時代後期の「倭名類聚抄」だと言われています。当時黒豆は「烏豆」と表記されておりました。
正月料理のひとつとして、黒豆が登場したのは室町時代だと言われています。
江戸時代、現在の東京である「江戸」でも、丹波篠山(ささやま)黒豆は名物として流通していました。水戸藩主「徳川斉昭」公が江戸幕府将軍「徳川慶喜」公にあてた書簡の中に、健康のために黒豆摂取を勧めていたという記録もあります。
日本人と黒豆の関係は1000年以上の歴史があり、これだけ長く続いている理由は黒豆の美味しさだけでなく、やはり体に良いという評判が昔からあったためと考えられ、黒豆は日本古来の健康法と言えるのです。

倭名類聚抄
倭名類聚抄にある、黒豆(烏豆)の記載
画像元:国立国会図書館

「丹波ささやま」と黒豆の歴史

江戸時代、当時の料理本「料理網目調味抄」に「黒豆丹波ささやまよし」と記述があり、また丹波ささやま黒豆は徳川将軍へ献上品として差し出されていました(「弘化武艦」「安政武艦」)。また、明治になってから、丹波ささやま黒豆は宮内省お買い上げ品となったことで、名声は一層高まりました。
戦後、食味や食感がいい大粒の黒豆を求めるニーズの高まりと、大粒黒豆を生産する技術改良により、一気に大粒化が進みました。
ところで「黒豆の枝豆」は大粒の食べごたえ感や独特のコクがあり秋の味覚として有名となりましたが、1980年代まではほとんど流通しておらず、人気漫画「美味しんぼ」や「ホロンピア・食と緑の博覧会」で取り上げられたことをきっかけに一気にその知名度があがったと言われています。

弘化武艦4巻
弘化武艦に記載がある、献上品としての丹波ささやまの黒豆
画像元:国立国会図書館

「北海道」と黒豆の歴史

北海道の黒豆の歴史は明治に始まります。江戸時代までは北海道は蝦夷と呼ばれ主に狩猟・漁業が産業の中心で、農業は少なかったと言われています。明治に入り開拓使が入植し北海道の農地が開発されていきました。一説には、北海道の黒豆は岩手から持ち込まれたようです。(岩手の黒豆といえば「雁喰豆」ですが、北海道黒豆とは明らかに形状が異なります・・・)北海道黒豆は、明治に北海道の道南で栽培が始まり、その後品種改良を経て道央・道東へと広がりました。現在北海道は日本最大の黒豆生産地です。

北海道での黒豆の収穫風景
北海道での黒豆の収穫風景